【エッセイ】生

頭が痛い 幸せでありたいが、幸せは痛い
おはようございます3歩散歩。です

私はこうやって文章を書いておりますが、書きたくて書いているというか頭がうるさくなって書いているという感じで、できる事なら起床と同時に鼻血なんか出したくないし、こんなにも感情が大きい人間なんかでありたくなかった

仲のいい友人が気を病んで、私も気を病んでしまいました。元々人と人との境界線が薄くてしんどかったけど、私の中には、好きな人と知らない人しかいなくて、100と0と言うか、1億と粘土

外を歩けば知らない人達はどれも粘土に見えて、粘土は怖い。けど、舞台の上から見るお客さんの顔は人間の顔に見えるから舞台の上から見える顔は大好き
キラキラ光ってる

私は発達障害を持っており、記憶力も凸凹で
記憶力が特化し過ぎていて、
数年前の思い出が、体温とか光の加減とかその時着ていた服の感触とかその時持っていた携帯の機種とかが頭の中でそのまんま細かく上映されて、苦しい時がある

普通に過ごしていても、そんな感じで数年前の夏休みの1人映画館とかに急に飛ばされて、わ〜映画館や〜となってる
望んでこの頭で生まれたわけじゃないし、1年の中で1日ぐらい何も考えない頭がとっても軽い日があって、なんでや?となる時がある
反対に記憶が急激に薄い所もあって、
私だけ、私一人ぼっちだけ、楽しい思い出を覚えられていなかったら?
代わりに覚えていて欲しい
記録に残していて欲しい だから写真や動画は大好きなんだ

お芝居も、自分の過去の感情と照らし合わせて役の感情を引き出す事も私の場合は多くて、記憶力が良いから、引き出そうとしなくても出てくる時はあるけれど、お芝居をしていない時も、引き出しはずっと空いていて、中の紙はバラバラに大量に出てきていて、その引き出しを自分で直そうとする事はできない

感情も文章も蛇口で、寝たくても一度出てくると完璧に出し終わらないと眠れなくて、いっぱいいっぱいペットボトルに丁度いいぐらいまで泣いて、そしたら眠れて、朝起きても頭が痛くて。

文章を書いたら落ち着いて、止まった鼻血と、
鼻血の影響で少しフラフラする重たい頭を抱えながらまた瞑想をして、精一杯生きる

7割の力で生きれば丁度いいらしいけれど、
どう頑張ってみても、疲れるシステムになっている

ジェットコースターや蛇口になりたいと生まれたわけじゃないから、自分の体は、自分の脳の中身を何かしらに変換して吐き出す、脳の奴隷みたいだなって高校の時から思ってた

今は早朝の8時で鳥も鳴いていて、
阿呆みたいに腕を振り回して空を飛んでみたい
そしたらそこに透明になった私の大好きな人がいるかもしれない

今も少し頭が軽くなって、
美味しい朝ごはんを食べたい

早く夕焼けが見たい
今日も生きる