尼崎

めっちゃ感化されて書いています。
後、今日から友達が2泊3日泊まりに来ていますが、現在低気圧がきており、2人して横になっています。


私は短大の寮時代から考えると一人暮らしも4年目ぐらいになり、地元尼崎の感覚はだいぶ忘れていますが、ファンキーな街、尼崎について書こうと思います。

今ふと、横を見ました。
友達は寝ています。


私は尼崎生まれ尼崎育ちです。
ダウンタウンさんが生まれた場所。
お笑いと言えば尼崎のイメージが強いように、
小学生の頃のお楽しみ会では、
サンドウィッチマンさんの漫才を完コピしている男の子たち2人がいました。

今でこそこんなにもお笑いが好きですが、
お笑いを意識し出したのは中学で不登校になって、
見るもんなくてたまたま観たお笑いにハマってからなので、小学生の時なんかはホントになんにも意識してなかったです。

小学生の私が当時好きなものは漫画と絵。
絵を描くのが大好きで、漫画を読むのも大好きなので、毎日毎日思いついた登場人物とお話を、何枚も紙に書いていました。

放課後に友達と遊ぶのも(今も仲良い幼馴染)
その子ひとりで、その子とずっとゲームしたり、漫画読んだり、絵かいたり。
もう、ずっとゲームしていました。
その子のお父さんがゲーム大好きで、その子の家の部屋のひとつは全てガンプラに囲まれており、
その幼馴染には弟がいたのですが、弟くんがお父さんのお下がりの龍が如くを、龍も如くも読めないその弟くんが6歳の時にプレイしていたのを覚えています。

小学4年生とか辺りになると、小学校は私服登校なので、女の子は自分でお洒落に気を使い出したりするのですが、私とその子は全て親任せで、毎日どれだけゲームでコインを集められるかに集中しておりました。

小学一年生の頃から毎月少女漫画雑誌を3冊も婆ちゃんと爺ちゃんが買ってくれていたし、週末はお父さんが車を出して、お母さんも付いてきて何店舗もブックオフに寄ってくれて、漫画を買って貰って読んで読んで読みまくり、絵も書いて書いて書きまくっていました。後、公文のプリントを解きまくっていました。笑

小学校高学年にもなると親のパソコンでボーカロイド曲の歌ってみたの投稿を見れるようになり、合唱曲以外で自分で知った曲はボーカロイド曲になりました。

私は1歩後ろから周りの状況を見ているような子供だったので、落研に入るまで、ほんまにアホやと思っていたので男子生徒と話した事はほとんどありません。

ボーカロイド曲はその曲の中でひとつのストーリーが完結するものも多くて、曲を題材に小説が発売されたり、見ていても聞いていても飽きないおとぎ話のようで楽しかったのです。

アニメを見始めて声優さんを知り、自分もアフレコしたくなって、そこからお芝居にハマりました。小学6年生の時です。

話は逸れていましたが、
中学ぐらいになると、しっかりと周りがグレ始めました。

中学へ登校している時、
ヤンキーの女の子達が、
先生達に向かって
笑いながら学校行かへんとか言うてました。

小学生の頃、やんちゃぐらいだったのが、
中学生になり、茶髪にピアス男遊びという感じになっていました。仕上がっていました。

学校でも女子はどれだけ髪を丁寧に整えられるか、
誰が可愛いかの話に明け暮れて、
男子はあんだけ話していたカードゲームの話は一切しなくなってしまい、学校指定のカバンをイキッた持ち方をして登校するようになりました。

私はそのまんまだったので、周りと自分との違いに違和感を覚え、自分はこれを着たい、こうしたいんだと、イコール自分はこれなんだと、中学生ぐらいになってから服に興味を持ち始めました。その頃から古着も見つけて、これを着た方が良いのかなというよりも、私はこれが着たいから着るんだというファッション雑誌の雰囲気に惚れ込み、そしてオタク体質の私は、お笑いを、何故これは面白くなったのかと音声を文字でノートに書き写して、その文字に番号を振り割って分析したりもしておりました。

私は、駅に何店舗もパチスロ店がある都会な地元よりも、今も、必要最低限は周りにあるけど田んぼがいっぱいあって、畑にカカシ突き刺さっている今の暮らしの方が好きです。

Instagramで年に1回ぐらい、地元の知っている人の名前のプロフィールを開いてみるのですが、
シングルマザーが2人居ました。

何が良くて何が悪いでは無くて、
何が自分には合って自分は何が好きなのかが大切なんだと思います。

肌寒くなってきました。
足音をできるだけ消して、部屋の窓を閉めに行こうと思います。